偉大なる母の日

昨日お母さんに一万円貸した。

 

 

お母さんは夜の蝶をしたりパチプロになったり彼女になったりママになったりして暮らしている。

ここのところはパチプロと彼女の二交代制で、わたしと弟は微かなママにコンビニのおにぎりを買ってもらっていたり、ストックされた食材で不可ではない料理を作って食べたりしていた。

 

昔から、「お金がなくなったお母さんはとても惨めで可哀想な上にとても怖い」とはよく言ったもので、本当にそうだった。

中学生のわたしや高校生のわたしはたくさんの買ってもらった漫画や、バイト代と交換した漫画を売って、お金にした。

わたしはBLオタクでBLを感じた漫画や胸熱を感じた漫画や、サブカルって言われる漫画とかが少し好きで、集めていたけど、その量はあまり増えず、私の机の下の三段の棚と壁と床15センチからはみ出たことはない。

 

お金のないお母さんはそれはそれは恐ろしく、家を出て行くとか死ぬとか働かないとかわたしに養えとか、そのようなことを言う。

本人が正しいと思っていることは奇妙なパワーでこちらの耳にも正しいように届けられることが多いので、みんなも気をつけてほしい。わたしは15年単位気付かなかった。

 

そういうわけで一万貸した。

なんか最近はどうでもよくなってきて、ついに「もう死んでいいよ、ママが死んだらわたしも死ぬから、そうしよう」と言った。

ママは「本当に死にたいわけないじゃん」と言った。

嘘でしょ?死にたくないのかよ?人間って死にたいもんじゃないのかよ

 

 

今月だけで十万円貸した。

先日ツイッターで「十万円貸した」と言って泣いていたが、本当は直前にビビってしまい九万円しか貸していない。ごめんなさい。

 

なんでこうもお金がないのにホイホイとお金を貸してしまうのかと言うと、《お母さんが喜ぶから》で全てが丸く収まるのだから本当にくだらない人間になったなと思う。

お金を貸せるわたしが母にとって価値ある人間になれていると最近気付いたので、ヤバイ。気付くことは偉いことだけど、その反動は年単位で襲ってくる化け物みたいなやつだと知っている。

 

お母さんへ お母さんってなに