二次創作物が出てきた

 

過去の天才であるわたしが書いた二次創作物が出てきたのでジャンルを記さずに公開します。

わたしはこういう文を書きたい、ということです。

そのような指針を自分の日記たるブログに公開する、ということです。

わたしのブログと書きたいものの落差を見てわたしが爆笑すればいい。

 
 
  どうしようもない尿意を感じて私は3日振りに体を起こした。3日というのもおそらくそうである、という具合でしかわからない。人間3日も排尿せず生きていけるものなのか、と妙なところで感心する。感心したところで行為そのものを忘れている可能性に気付く。馬鹿なわたしが居る。
  日が暮れるのも昇るのも数えて生きていない生活不適合者は膝を手で支えなんとか立つものの、長らく使われなかった関節は油のきれた蝶番のように軋み、異音をたてた。そうして無様を笑う声あげることを試みるもその声すら掠れて笑い声の形すらとれていないでいる。何事かに疲れ切ったわたしは老人のように背を曲げたまま歩くことにしたのだった。
  自室の戸を引き居間に出る。窓に顔を向けると、情け程度の陽光が指していた。カーテンが丁寧に留められて、ガラス窓は開けられている。茹だるような暑さ。風はない。小さな茶箪笥の上にある時計を見れば、午後の4時か5時らしい。眼鏡のない視界ではそれ以上の認識は出来ない。置き時計の金メッキに、キラリと夏の西日が反射した。
  小さな置き時計は妻の雪絵と選んだものだ。
 
「腕時計はあったんだ」
驚く妻を前に私は声を震わせながら言った。だから不便はしなかったんだ、そう吃音混じりに続けた私の顔は一段と熱くなっていた。その声と赤い顔に気付いたのだろうか、雪絵はふふと笑って「私、恥ずかしながら腕時計を持っていないのです。居間に置く時計を買ってもよろしいですか」と尋ねた。
「あ、あぁ。雪絵が気にいる物を選ぶといい」
両手で掴んだズボンは、汗とシワでぐちゃぐちゃである。雪絵が毎日綺麗にアイロンをかけてくれているはずのズボンはわたしが履くとなぜかよれて見えてしまうというのも、つまりはわたしのこういう仕草が問題なのであった。
「タツさん、耳が赤い」
思わず「うぅ」と呻いた私にまた一つ笑って、「一緒に選んでくださいな」と雪絵は言った。
「あ、も、もちろん」
ようやく顔を上げた私が前を見やると雪絵は頬を染めて笑っていた。そのとき初めて見たのだ、ちゃぶ台越しの妻の笑みを。
 
  固まっていた足を嫌々動かして、やっとの思いで一歩踏みだす。その度乾いた音がする。日に焼けた畳は越してきてから一度も替えられていない。居間、台所、風呂、どこからも妻の気配はしない。不甲斐ない私のために職業婦人として勤めに出ている妻。何日も寝たままの無気力なわたし。心配する妻を撥ね付けるわたし。わたしより優れた妻を無下に扱うわたし。萎縮するのも飽きるほど、この精神はいつまでも愚かな行為を繰り返す。結婚して5年になる。雪絵はまだ私についていてくれる。私はうだつの上がらない研究員からうだつの上がらない三文文士になったが、貧乏人の精神病患者であることは変わらなかった。一歩踏み出す度に、足先から言いようのない闇が広がるようだ。一歩進む。一歩。一歩。一歩。段々と視界が暗くなる。どこからかズズと音がして、世界が回転する。崩れる足を支えることも出来ずに着いた手は、自重にすら耐えないままに崩れた。そのまま私は蹲り、こうべを垂れ、横に倒れる。ぐううと歪んだ声が出る。意識が遠のく。無に近付いて落ちる寸前、尿意をおもいだしながら、旧友の声を聞いた気がした。