感情の土砂が崩れた
今日は感情の土砂が崩れました
メンクリに行って薬をもらっているはずだった。
薬をもらっているはずだったのに、おれは薬をもらっていないです。
メンクリで受付して待ち時間にプリリズのオバレ回を見ていました。ネカフェで。2時間くらいたったのでそろそろかなと思ったけれど、身体が動かないし、オバレ回全部見たいし、ダルいし、動けなかった。
そしたらメンクリから電話がはいる。
「本日の診察は終了しましたので次のご予約をおねがいします」
これ聞いたときですね、感情の土砂が崩れました。
生きてきてかなりやってきた失敗として「スケジュール詰めすぎて心身が追いつかず全部ぶっ壊す」という失敗があります。
それです。
でも「わたしの悪いとこ全部ママの所為」、みたいな気分です。
お母さんが祖父の香典で生活していたころはわたしの心もとても穏やかで、愛に満ちていたらしい。ツイッターで「お母さんにソニアの服買ってあげたい」とかアホ抜かせる程度に。
2週間くらい前?にお母さんに金貸してって言われて貸したり返されたりしてからは、また修羅の世に戻ってきてしまった。
貸した金でお母さんはパチンコに行く。
だいたい負けて帰ってくるのでだいたい機嫌が悪く、運がないのはわたしのせいになる。わたしが働けとか言うと運がなくなるらしい。
そういえばお母さんが無職でも香典で生活していて家の掃除をしていたころは家事をするのも苦しく思わなかった。
蓮根の甘ダレはさみ焼き、鶏のトマト煮、トマトペンネ、小松菜の浅漬け、コンソメスープ、茹でたてのブロッコリー、もやしのナムル、好きなものを作って幸せとすら思った。
洗濯も楽しかった。洗剤の匂いは清潔だし、季節の変わり目に外に出るのは心地よかった。イヤホンをせずに洗濯を干すのなんてどれだけ久しぶりだろう。
クイックルワイパーのシートを交換するのが面倒だなんて思わなかったし、また祖母が尿を溢すだろうトイレだってピカピカに磨き上げたし、風呂のカビ取りだって生まれて初めてやった、弟のパジャマのゴムを詰めたりもできた。
お母さんがパチンコに行き始めると家事をするのも苦になった。
おばあちゃんに8時間のあいだ味噌汁一杯ご飯一杯しかだしてない、1日寝ている、洗濯物を取り入れたけどカゴに入れたままだし、料理だって作ってないから食べてないのでお菓子をたべてる。
誰もパチンコに行ってなかった頃、夕飯を作れば大人たちの分を取り分け、ラップし、メニューを書き出し皿に添えていた。まるで甲斐甲斐しい新妻。こわい。
「これが何か」わからないものを食べるのって勇気いるし、味もぼやけるから、メニューを書き出し皿に添えた。
そういう気遣いを自分が家族にできることに驚いた。そういう気遣いをわたしが考えられることに驚いた。
大人がパチンコに行き始めた頃、そういう気遣いをするのことにわたしは苛々している。
怒りが止めどなく滲み、理不尽な目にあっていると考える。
「なぜわたしがこのようなことをやってあげているのに感謝もなく手伝いもなく金も返さず、平然と家に帰ってくるのか」
常にその考えが脳を回り続け、指先に達すると、わたしは何もできなくなった。
眠くなってきたのでおわりにします。
このブログを読んでいる人がいたとして、その人に伝えたいことが伝わるとすれば、
【45過ぎた大人たちがパチンコに行って帰ってきて俺の炊いた飯についてやわらかすぎるとボソリと呟く厭らしさ】ヤバイよ、
というのが伝わってほしいです。
あとわたしは幸せになります。
おわり