堕ろす

 

堕ろすという言葉に触れると、途端に腹が痛くなる。高校二年の時に見た保健のビデオが一気にフラッシュバックする。狂気的なフォルムをした堕胎器具は、某漫画のセリフを借りれば「命を刈り取る形」をしていた。そのビデオは古いビデオで、古い話し方をする年配の女医が、模型を使って堕胎手術を演じて見せた。私は目を見開いたり眉を顰めたりして見ていた。背けたくなった顔は動かなかった。私は席の最前列だったので、周囲のクラスメイトたちがどのように見ていたのかはわからなかった。テレビの目の前にいる自分に注目が集まることは嫌だった。プラスチックの模型と私の子宮は悍ましいほど丁寧に共鳴していて、吐き上げそうな気分だった。私の席は一番前で、テレビに近く、視界を画面が埋めていた。後ろの席なら、誰かしらの頭が目に入って思考がいろいろな方向に伸びたかもしれない。けれど私の前に遮るものはただの一つも無く、頭の中は"それ"でいっぱいになってしまっていた。腹を鉄の棒で掻き回される感覚とは。腹に穴が空く瞬間とは。確かに在った未熟な命を潰すとき、その思考は私に深淵より深く遺されるだろうことを。

そうして考えてから、母のことを思い出す。私と、弟との間にいた、流れた子。母はしっかり戒名を覚えていた。私は忘れてしまったその名前。私の中でその先の弟の想像はいつまでも胎児のままだ。話を聞いた時、何故か泣き出した私に、母はなんであんたが泣いているのよと苦笑して言った。あまり見ない表情だった。母と目が合い、ようやく目に膜が張っているのを知るのだった。

 

昔(2014年7月27日)書いた日記が出てきたので、載せました。