警察沙汰ワロタ

今日は警察沙汰があった。私が起こした。発端はいつもの親子喧嘩であった。母は奨学金を盾に取り、私に「食料を買うからクレジットカードを寄越せ」と怒鳴り続けた。貸さないと言い張り無視を決め込む私に業を煮やした母は家を出てけと言いながら私の携帯を止めにかかった。母の名義で契約している携帯は確かに母の名義であるが私が払っていたはずである。母は昔から私の態度が気に入らないと、携帯会社に電話をして電話を紛失したのでと言い私の携帯にロックをかけた。一連の流れは素晴らしくスムーズに行われる。しかしそこには陰湿な前振りや後付けがある。今までの私はそれをする母を黙って睨みつけるか、憔悴して寝込むか、要求や激怒を受け入れ謝罪をするのだった。しかし今の私は違う。20日後には未来があり、3ヶ月前から薬を飲んでいる私は違う。体がでかく母を超え大声で吠える私は違う。それでも母は恐ろしい。タバコを片手に携帯会社に電話をいれる母を止めることは出来なかった。タバコの火は怖い。私は臆病な獣なので痛みばかりを恐れている。母は言う、「クレジットカードも止めるから」。18を超えた私は小金を持った。18を超えた私は小金を持って向精神薬を買い深夜バスに乗りクレジットカードを作った。抱えるものが増えた私は奪われるものも増えたということだ。

ストレスの絶頂にあったわたしはそのまま号泣し警察に電話した。「事件ですか事故ですか」尋ねられる。わからない。「事件です多分」「どうされましたか」「あの、金銭的?な虐待?されてるんですけど、母に」「あなたはいくつですか」「19です」「そこにお母さんはいますか」「はい」「怪我はありませんか」「ないです」「住所を教えてくれますか」「…」「どうしましたか」「母がこっち見て言うなって言ってて、言ったら、怒られると思うんですけど、あの」「住所は教えられますか」「あの」「はい」「たすけてっていったら助けてくれるんですか」「事件ならば警察が向かいます」「(号泣)」「つらかったですね」「(号泣)」「大丈夫ですからね」「あの、あの、母が、代われって、言ってるんで、代わります」

しんどいので当時のことはここまでにします

また書くかもしれないけど

ただその後のツイッターでは「人生ヤバくなるほど燃えるんだよな」「人生が熱い」「やべーな ゼッテーに勝つもんなこれ」などと言いました。今もそう思います。

自殺した中学生のニュースを見て憔悴しきりましたがその流れで書きかけの記事を公開します。

わたしたちが過去を見ること。中学生が自殺したニュース。生きてしまったわたしたち。

だって生きなかったわたしたちの未来、きっとあったでしょ。

感情の土砂が崩れた

今日は感情の土砂が崩れました

メンクリに行って薬をもらっているはずだった。

薬をもらっているはずだったのに、おれは薬をもらっていないです。

メンクリで受付して待ち時間にプリリズのオバレ回を見ていました。ネカフェで。2時間くらいたったのでそろそろかなと思ったけれど、身体が動かないし、オバレ回全部見たいし、ダルいし、動けなかった。

そしたらメンクリから電話がはいる。

「本日の診察は終了しましたので次のご予約をおねがいします」

これ聞いたときですね、感情の土砂が崩れました。

生きてきてかなりやってきた失敗として「スケジュール詰めすぎて心身が追いつかず全部ぶっ壊す」という失敗があります。

それです。

でも「わたしの悪いとこ全部ママの所為」、みたいな気分です。

お母さんが祖父の香典で生活していたころはわたしの心もとても穏やかで、愛に満ちていたらしい。ツイッターで「お母さんにソニアの服買ってあげたい」とかアホ抜かせる程度に。

2週間くらい前?にお母さんに金貸してって言われて貸したり返されたりしてからは、また修羅の世に戻ってきてしまった。

貸した金でお母さんはパチンコに行く。

だいたい負けて帰ってくるのでだいたい機嫌が悪く、運がないのはわたしのせいになる。わたしが働けとか言うと運がなくなるらしい。

そういえばお母さんが無職でも香典で生活していて家の掃除をしていたころは家事をするのも苦しく思わなかった。

蓮根の甘ダレはさみ焼き、鶏のトマト煮、トマトペンネ、小松菜の浅漬け、コンソメスープ、茹でたてのブロッコリー、もやしのナムル、好きなものを作って幸せとすら思った。

洗濯も楽しかった。洗剤の匂いは清潔だし、季節の変わり目に外に出るのは心地よかった。イヤホンをせずに洗濯を干すのなんてどれだけ久しぶりだろう。

クイックルワイパーのシートを交換するのが面倒だなんて思わなかったし、また祖母が尿を溢すだろうトイレだってピカピカに磨き上げたし、風呂のカビ取りだって生まれて初めてやった、弟のパジャマのゴムを詰めたりもできた。

お母さんがパチンコに行き始めると家事をするのも苦になった。

おばあちゃんに8時間のあいだ味噌汁一杯ご飯一杯しかだしてない、1日寝ている、洗濯物を取り入れたけどカゴに入れたままだし、料理だって作ってないから食べてないのでお菓子をたべてる。

誰もパチンコに行ってなかった頃、夕飯を作れば大人たちの分を取り分け、ラップし、メニューを書き出し皿に添えていた。まるで甲斐甲斐しい新妻。こわい。

「これが何か」わからないものを食べるのって勇気いるし、味もぼやけるから、メニューを書き出し皿に添えた。

そういう気遣いを自分が家族にできることに驚いた。そういう気遣いをわたしが考えられることに驚いた。

大人がパチンコに行き始めた頃、そういう気遣いをするのことにわたしは苛々している。

怒りが止めどなく滲み、理不尽な目にあっていると考える。

「なぜわたしがこのようなことをやってあげているのに感謝もなく手伝いもなく金も返さず、平然と家に帰ってくるのか」

常にその考えが脳を回り続け、指先に達すると、わたしは何もできなくなった。

眠くなってきたのでおわりにします。

このブログを読んでいる人がいたとして、その人に伝えたいことが伝わるとすれば、

【45過ぎた大人たちがパチンコに行って帰ってきて俺の炊いた飯についてやわらかすぎるとボソリと呟く厭らしさ】ヤバイよ、

というのが伝わってほしいです。

あとわたしは幸せになります。

おわり

危篤の祖父の

祖父が危篤になったのでバイトを早退し病院に向かった。

休憩中に家族のグループラインを見たから気付けたものの、そうでなければ21時まで祖父に会うことはなかっただろう。

向かうまで電車に乗っていましたが、涙がジワリと出る瞬間ですらバイトを早退できて嬉しい気持ちがうっすらとこころにあり、自分にガッカリしていた。

ガッカリしながら救命の待合室に行くと、母とふたりの叔母と年下の従妹が居り、皆一様に涙目だったので、わたしもボロリと泣いてしまう。

待合室には他にも十数名の人間が居り、簡易ソファーにうずくまっている人や所在無さげな人・カラ元気を起こす人など様々だった。たくさんの人がいて良かったと思った。人がいるのはいいことだと思った。

処置室に案内されると、顔の膨れた祖父がいた。

祖父は競輪場で倒れていたらしい。

賭け事の好きな祖父らしいはなしに思わず笑ってしまう。

祖父の腕に触るとぬるく、しかし冷たく、やわい皮膚だった。昔触った祖父の温度を思い出そうとしたけれど、思い出せなかった。

祖父を囲んで担当医師と話をする。叔母が何度も身のない質問をするので、担当医師が呆れていくのがわかる。一緒にいて羞恥する私、そんな私を羞恥する私。

母は母で、いつも怒鳴りつけるばかりの祖父を優しく甘えた声で呼びなで続けるものだから、気持ち悪く思った。またわたしはわたしを嫌悪しなければならなかった。

入院することになった祖父が器具などを取り付けなければならず、一時間ほど待つ。

その間に祖父の姉とその夫、祖母の弟・妹、祖父の友人が来てくれ一族総出である。14人がかけつけたので待合の長椅子3つが全て埋まってしまう。私たちが待っている間も搬送されてくる人は来るし、付き添いの人も来る。その方々はベット周りに案内されているようだった。申し訳なく思った。

母が弱気になりずっと涙をこらえながら話すものだから、私は強気になってきて、足を広げ、肩肘をつき、男勝りに話した。自分を大きく見せようとしている。親族が集まるとその世代の長子はそうなりがちである。わたしは孫世代の長子であるので。

そんなわけで親族会議が始まったのでわたしは早々に飽き、従妹と漫画のキャラクターの話をして過ごした。

その後祖母を迎えに行ったり従姉が駆けつけたりといろいろあった。

20時半頃に今日最後の面会をする。救命病棟という場所。

入った瞬間、明るいなと思う。清潔な匂いがする。部屋が広くとられており、開放的である。もっと重く張り詰めているんだろうと思っていたので拍子抜けしたし、祖父も死なないんだろうと思った。

処置室で見た頃より呼吸も大きく、また呼吸の乱れによる痙攣のような動きも大きくなり、声かけに目が反応したりしていたので、泣いた。もう一度死なないんだろうと思った。

(家に帰って夕飯を食べる。昨晩祖父の作った牛肉のスープ。祖父は料理が上手い。食べながら、死なないでくれと祈った。)

9月29日 思い出せ

生活を豊かにしていくことが目標で、とにかくお金がほしくて、社会復帰とお金を貯めることを目標にこの半年生きてきたんだけど、生活を豊かにしてというより、みじめなお金でみじめなごはんを食べ、お友だちと生活の悪口を言い合って、家族とは思い合う以前の障害が多くて、お金も大して溜められなくて

posted at 19:10:37

 

 

今まで諦めてきた本とか、漫画とか、映画とか、そういうものを手にしてもどんどんヘドロみたいな気持ちになっていって、なにもてにつかず、それでも焦る手がスナック菓子を開けて、ひたすら横になるみたいな、そういう、そういう

posted at 19:12:44

 

お母さんが最安値でないものを買うと、「うちは貧乏なのになんでそんな高いもの買えると思っているの」と言って、お母さんは悲しそうな顔で最安値のものに代える 自分のお金でそれをすると、本当になにも嬉しく無くなっていって、中古で買った読みたい小説を読めたこともない

posted at 19:18:05

 

「ブルジョワお嬢さんなママの金銭感覚を矯正してあげるわたし」という気持ちを12歳から持っていて、わたしこそが正しく、家族のすべては間違っていると思っていたけれど、諸悪の根源こそがわたしで、家族に悪などなかったのではないかと、わたしは 今心拍が異常です

posted at 19:21:27

 

ツイッターに毒親片親コンプ炸裂させてるあいだ、「でもわたしも悪いんだ どこがなんて探したらツライのでしないけれど」と思っていて、ツライと言っているとインターネットの人々が、「あなたは悪くない わかるよ」と言ってくれ、救われつつも、罪悪感でいっぱいになり、母も私も直視できなかった

posted at 19:26:42

 

二次創作物が出てきた

 

過去の天才であるわたしが書いた二次創作物が出てきたのでジャンルを記さずに公開します。

わたしはこういう文を書きたい、ということです。

そのような指針を自分の日記たるブログに公開する、ということです。

わたしのブログと書きたいものの落差を見てわたしが爆笑すればいい。

 
 
  どうしようもない尿意を感じて私は3日振りに体を起こした。3日というのもおそらくそうである、という具合でしかわからない。人間3日も排尿せず生きていけるものなのか、と妙なところで感心する。感心したところで行為そのものを忘れている可能性に気付く。馬鹿なわたしが居る。
  日が暮れるのも昇るのも数えて生きていない生活不適合者は膝を手で支えなんとか立つものの、長らく使われなかった関節は油のきれた蝶番のように軋み、異音をたてた。そうして無様を笑う声あげることを試みるもその声すら掠れて笑い声の形すらとれていないでいる。何事かに疲れ切ったわたしは老人のように背を曲げたまま歩くことにしたのだった。
  自室の戸を引き居間に出る。窓に顔を向けると、情け程度の陽光が指していた。カーテンが丁寧に留められて、ガラス窓は開けられている。茹だるような暑さ。風はない。小さな茶箪笥の上にある時計を見れば、午後の4時か5時らしい。眼鏡のない視界ではそれ以上の認識は出来ない。置き時計の金メッキに、キラリと夏の西日が反射した。
  小さな置き時計は妻の雪絵と選んだものだ。
 
「腕時計はあったんだ」
驚く妻を前に私は声を震わせながら言った。だから不便はしなかったんだ、そう吃音混じりに続けた私の顔は一段と熱くなっていた。その声と赤い顔に気付いたのだろうか、雪絵はふふと笑って「私、恥ずかしながら腕時計を持っていないのです。居間に置く時計を買ってもよろしいですか」と尋ねた。
「あ、あぁ。雪絵が気にいる物を選ぶといい」
両手で掴んだズボンは、汗とシワでぐちゃぐちゃである。雪絵が毎日綺麗にアイロンをかけてくれているはずのズボンはわたしが履くとなぜかよれて見えてしまうというのも、つまりはわたしのこういう仕草が問題なのであった。
「タツさん、耳が赤い」
思わず「うぅ」と呻いた私にまた一つ笑って、「一緒に選んでくださいな」と雪絵は言った。
「あ、も、もちろん」
ようやく顔を上げた私が前を見やると雪絵は頬を染めて笑っていた。そのとき初めて見たのだ、ちゃぶ台越しの妻の笑みを。
 
  固まっていた足を嫌々動かして、やっとの思いで一歩踏みだす。その度乾いた音がする。日に焼けた畳は越してきてから一度も替えられていない。居間、台所、風呂、どこからも妻の気配はしない。不甲斐ない私のために職業婦人として勤めに出ている妻。何日も寝たままの無気力なわたし。心配する妻を撥ね付けるわたし。わたしより優れた妻を無下に扱うわたし。萎縮するのも飽きるほど、この精神はいつまでも愚かな行為を繰り返す。結婚して5年になる。雪絵はまだ私についていてくれる。私はうだつの上がらない研究員からうだつの上がらない三文文士になったが、貧乏人の精神病患者であることは変わらなかった。一歩踏み出す度に、足先から言いようのない闇が広がるようだ。一歩進む。一歩。一歩。一歩。段々と視界が暗くなる。どこからかズズと音がして、世界が回転する。崩れる足を支えることも出来ずに着いた手は、自重にすら耐えないままに崩れた。そのまま私は蹲り、こうべを垂れ、横に倒れる。ぐううと歪んだ声が出る。意識が遠のく。無に近付いて落ちる寸前、尿意をおもいだしながら、旧友の声を聞いた気がした。
 

何も考えたくない

布団に横たわっている。全身が発熱しているように感覚するも、きっと体温は上がっていないと経験が告げる。
夏だ。暑い。
 
ここのところ働き詰めなわたしはどうにも心があやふやで、小さなことであちらとこちらを行きつ帰りつするのを繰り返していた。
それはひどく疲れるので、出来れば回避していたいのだけれど、どうにも心はままならない。
18歳のわたしも15歳のわたしも12歳のわたしも「大人になれば」変わるし「ここじゃなければ」(もちろん良い方向に)変わるのだと、信じていた。
しかし人類千万年の史実通り、そのようなことはなかった。
わたしはわたし、というやつである。地獄だ。
 
今のところ、【大人にはきっとなれず大人っぽいのはひとの性格】ということにしていて、【人と接すると人の子供っぽいところをたくさん見られるというボーナス的なやつがあり、体験している状態】である。
子供っぽい大人や大人っぽい子供はたくさんいて、大人っぽい大人がたくさんいるとは限らないらしい。
わたしは思い描いた大人にはならず、歳をとるらしい。
 
薄い掛け布団を被っている。
暑さを考えれば被らないほうがいいだろうものを被る。
「布団を被る」で検索しようとすると、「心理」を付けてサジェストされるのがツライ。
サジェストしてくれたのだからと善意を装ってそれで検索するとよくわからない女性向け記事タイトルが並びまくり、ツライ。
もう何もかもがツライ。
精神のはなしをすると頭がおかしくなるのか、単にこぼれたミルクは戻らないというアレなのか、精神は加速度的におかしくなっているのかもしれない。
外面的には不登校児から週六勤務フリーター(中卒)にステップアップしたと思っていたのだが、なにかがおかしいのかもしれない。
 
変わってると言われるのは慣れたし天然と言われるのも慣れたしそれらに憤慨するのにもだいぶ慣れた。慣れたからもういい。慣れたからこれからもきみたちの優しさでわたしをその枠にはめてくれればいい。
 
新しいアルバイト先に勤務し始めて2ヶ月がたった。
人並みに会話するよというキャラクター設定で足を踏み入れてしまったので、人並みに会話しなければならず、頭の回転が足らず、毎度ツライ。
繁忙期ということもあり、ツライ。
あと人の徳が低いのか普通のにんげんはこの頻度で人の悪口を言う習性があるのかは知らないが、人の悪口がよく出る。
しかし悪口といっても「マジウゼェ」「無視しよ」とかではない、「Aさんマジ(笑)」「Bさん話通じないよね」などの狡猾な言葉があるのみである。
わたしは人の悪い面に関して(恐らく)過剰に同意してしまうという癖(ヘキ)があって、人と深く関わっていないので悪口を思い付く隙間もないのである。
というより罵りは環境と自分にしか出て来ず、人個人に罵りは出て来ない。
というよりまず悪口って怖い。背筋を通る氷そのもの。
自分にできないことをしていて、レッツを求められるのは難儀だ。
 
というわけで悪口が怖い。
そして職場が嫌だ。
(このようなところでも自分のポテンシャルよりハイグレードな場で思春期を過ごすと転落したその後の人生で困るという、我が人生でヘビロテのやつが登場している。)(ツライ。)
 
何も考えたくないし15連勤の9連勤目で心があやふやなので、この感傷も何もかもも生理と勤務2ヶ月め独特の倦怠ということにしておく。
何も考えたくないので何も考えないものを書いてしまった。
理想とかけ離れたものができた。
何も考えたくない。
ゴミ文を書く自分も無理。なんだこれ、何ができたんだこれ。
はやくまともになりたい 
 
おわり

お金を食べて生きている

バイトを増やして週に5日か6日働いている。

 そうするともらえるお金が増える。 

今月末に振り込まれるお金が、先月末に振り込まれるお金よりも多くなっている。 

とても嬉しい。 

 

 そういえば乙女ゲーのシナリオコンテスト?に応募することにした。 賞金が欲しいので。 ※結局応募してません。書いてないし

関心がなく人生で30分以上乙女ゲーをやったことがないので、疲労せずに書ける気がしたのだけど、主人公が親を乗り越えるハートフルラブストーリーを書くことにしたので、おそらく疲労するかと思います。 

締め切り間近だけど、休み多いしたぶん行けると思う。たぶん、よくわかってないけど。 

というのもソフトバンクさんの4G回線にマナティが詰まってダーク・インターネットさんになってしまったからで、25日を過ぎないとコンテスト詳細すら確認できない。憎い。

 私は有限不実行の人間なので完成するかは全くわからないが佳作賞金3万円を目指して尻を殴りながら書こうと思う。 

 

 また、8月はもっと働こう、そう思いシフトの申請を増やした。 

シフトが希望通り通れば8月の完全な休日は2日間です。 あ、え、てか今気付いたけど、8月って夏休みだ。完全に忙しいやつだ。今まではフラフラしててもお金をもらえたけどそんなこともなくなってしまう。ツライ。

こうして軽率にツラくなる。こんな体で学校教師に鬼詰めされたら確実に泣く。確実に吊る。首を。 

 

 

 夏になった。 梅雨らしくない梅雨(限りなく初夏に近い梅雨)が終わり、なぜか雨の多い夏が始まり、それも終わって夏になるかと思ったら台風が来た。 

みなさんは大丈夫でしたか? 

私は台風好きなので大丈夫でしたよ。 

叩きつける夏の雨にワクワクするロマンチストなので恥ずかしい。 

 

 今月末に給料が振り込まれたら、ずっと見たかった映画(マッドマックスというやつ)を見に行って、好きな若手俳優に送るファンレターのために便箋と封筒を買って(気に入った便箋と封筒は気が狂うほど高価だ)、夏に負け始めた肌をなんとかするために4320円の美容液を買って、WiFiをつなげて、スニーカーを買いたい。 

 でも本当は好きな若手俳優の面白誕生日イベントにも行きたい。 でもたぶんお金ないから行けない。 でも行きたいから行ってしまうかもしれない。 

 

若手俳優のはなしはまた書きます。

なのでそろそろ終わります  

読んでくれてありがとう